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巻頭特集 東京五輪50km競歩 本学陸上競技部OB丸尾執念の完歩

  • 丸尾知司選手
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    丸尾知司選手

「いつも感謝の気持ちを胸に、競技に打ち込んできました。自分のためだけにやっていたら、苦しいときに頑張れませんから」―。私たち後輩に伝えてくれた思いをそのまま表現するような執念の歩きだった。東京オリンピック大会陸上競技8日目の8月6日、北海道札幌市で行われた男子50km競歩に出場した本学OBの丸尾知司選手(愛知製鋼)は、酷暑のレースを4時間6分44秒というタイムで完歩し、32位という結果を残した。「金メダルをターゲットにしていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいです」。レース後に涙ぐみながらそう語った丸尾選手だが、オリンピックの舞台に立つまでの葛藤や苦難を含め、スポーツの魅力や可能性について多くのことを私たちに教えてくれたことに改めて感謝したい。

「自分の弱さと向き合った」執念の完歩で後輩たちにエール
50km競歩は、陸上競技の中で最も過酷な種目といわれている。2016年リオデジャネイロオリンピックでは出場した80人のうち完歩したのは49人だけで、多くの選手がレース途中でリタイアしている。オリンピックの種目として採用されるのは、今回の東京大会が最後となるため、丸尾選手と川野将虎選手(旭化成)、勝木隼人選手(自衛隊体育学校)の日本勢は「金メダルを獲って、これまで50km競歩という種目をつないできてくれた人たちに恩返しをしたい」と同じ目標を口にしていた。
暑さを避けるため、レースのスタート時間は午前5時半。気温は25℃、湿度86%というコンデイションのなか、札幌駅前通の南北2kmの周回コースを25周するレースがスタートした。
徐々にのぼり始めた朝日がエントリーした59人の選手を照らすなか、レースは序盤から羅亜東選手(中国)が飛び出し、丸尾選手はそのあとに続く2位集団の前方につけた。20km地点では集団が羅選手に追いつき、20人の先頭集団のなかでレースを進める展開に。レース開始から2時間が経つと気温は3度上昇し、世界記録保持者のヨアン・デイニズ選手(フランス)が29km地点で棄権、後半にむけて選手たちは酷暑との過酷な戦いを強いられた。
粘りに粘って先頭集団に食らいついていた丸尾選手が集団から遅れ始めたのは、36km地点。目標としていたメダルが遠のいていくなか、ここからゴールまでなにが丸尾選手を支えたのだろう。
東京オリンピックが開催される1ヶ月前の6月23日、本学で丸尾選手の壮行会が行われた。丸尾選手はオリンピックに向けた決意や学生時代の思い出などを語ってくれたのだが、その中でも、2019年10月の全日本50km競歩高畠大会で日本新記録を出しながらも2位に終わったあと、2021年4月に行われた日本選手権で代表切符を手にするまでの約530日の間、心の支えとなったことは何か―という質問に対する答えが印象的だった。
「高畠大会で2位に終わったときは、ゴールした後に家族や会社の人、監督が泣いている姿を見てすごく申し訳ないと思ったし、その瞬間に強く『勝ちたい』と思いました。それから選考会があるまでそのことを考えない日はありませんでした。寝る前も起きた時も、娘と遊んでいる時もずっと申し訳ないという思いがありました。だからこそ、その方々に勝って恩返しがしたいと思ったし、『一人じゃない』と実感できたことが支えになりました」
さらに、そんな悔しい思いをした高畠大会で得たものはなにか―という質問には、こんな言葉を返してくれた。
「あの時は自分の弱点に対して真っ直ぐに向き合っていませんでした。自分が得意なところで勝負して相手を倒そうと思っていたんです。でも、それでは勝てないことが、あの大会でわかりました。以来、自分の弱さを認めて、弱点を徹底的に鍛えることができたからこそ、21年4月の全日本で優勝することができたと思います。『弱さに向かい合っていく』ことが大切だったと思います」
周りの人たちの支えだけではない。丸尾選手自身の競歩に対する思いや考え方こそが彼の強みとなり競技を続ける原動力になったはずである。だとすれば、オリンピックの舞台で集団から離されていくなか、彼を支えたのも、自分を支えてくれている人たちの思いを感謝の気持ちとともに受け止めること、過去の自分の弱さと闘って打ち勝ってきた自信だったのではないか。

ゴールできたのはたくさんの方々のおかげ、「支えてくれた人たちに、感謝したい」
川野選手が3時間51分56秒のタイムで日本人選手最高の6位、勝木選手が4時間6分32秒、30位でゴールしたのに続き、粘りに粘って完歩した丸尾選手はレース後のインタビューで「ゴールできたのはたくさんの方々のおかげ、大会ができたのもたくさんの方々のおかげで本当に結果が残せなかったことが情けないですけど、感謝の気持ちで一杯です。結果を受け止めて、自分の弱さを認めてそこに立ち向かっていきたいと思います」と声を絞り出した。
結果には、満足できないかもしれない。だが、代表内定までの苦しい経験や日本開催のオリンピックで最後の種目となる競技に挑戦した姿、メダルという目標が遠のいても支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを忘れず、最後まで歩き切った姿こそ、私たちびわスポ大の後輩たちに新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのではないだろうか。
最後に、壮行会で丸尾選手が私たち後輩に向けて送ってくれたメッセージを紹介したい。
「この大学は、いい意味ですごく自主性が求められる大学であることを卒業してから実感しました。すごく素晴らしい先生方がいらっしゃるので、学生のみなさんにはぜひ自分から何でもいいのでいろいろと聞いてほしい。先生方の体験談を聞くだけでもすごくプラスになるはずです。私の場合は陸上部の渋谷俊浩先生から機会を見つけてはいろんな話を聞き、少しでも吸収したいと思いながら過ごしていた4年間だったと思います」
「大学生活は可能生だらけなので、やりたいと思ったことがあれば、どんどん挑戦してほしい。これだけ学べる時間があるのは人生のなかでも他にはない機会なので、どんどん自分の好きなこと、学びたいことに積極的に取り組んでいってほしいと思います」(文責・奥本康貴)