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卒業生インタビュー

細谷圭吾さん

細谷圭吾さん

イギリスの大学院合格 細谷圭吾さん 多文化共生の国イギリスで、今の自分にないものを吸収していきたい

サッカービジネスを学ぶため、イギリスの大学院で研鑽を積むことを決めた細谷圭吾さん。その決意と行動力は、スポーツを仕事にすることをめざしている後輩たちに新たな可能性を示してくれた。「英語のスコアで基準をクリアしないといけないんです」と苦笑する細谷さんに、海外で学ぶモチベーションと今後の抱負を聞いた。
(聞き手・宇野亨祐)

▼海外の大学院進学をめざしたきっかけを教えてください。
「学生時代に学んだことを仕事に直結させたいとずっと思っていて、本学のビジネスコースで学んだ内容が凄く楽しかったので、もっとビジネス、それも僕がずっと関わってきたサッカービジネスの勉強をしたいなと思ったのがきっかけです」

▼群馬のご出身ですが、どうして進学先に本学を選んだのですか。
「僕はJ2のザスパ草津のアカデミーでサッカーをしていたのですが、その当時から大好きなスポーツを仕事にしたいと考えていました。それで体育系の大学に進むことを考えていた高校時代、本学の高橋佳三先生が群馬の高校に出張授業みたいな形で来てくださって、びわスポ大のことを知りました。授業も面白かったし、びわスポ大に入学すれば、スポーツをいろんな面で勉強できると思いました」

▼海外の大学院に進むという選択はなかなかできないと思います。
「インターンシップでザスパのフロントで働かせていただいたのですが、そのとき、社員の方から新卒採用からキャリアアップしていくのは難しいという話を聞いたんです。それなら、もっと実践的なスキルを身につけてからこの世界に飛び込んだ方がいいと思ったとき、海外の大学に進学するのもいいかな、と」

▼イギリスの大学院に進むための勉強で一番大変だったことは何ですか?
「実は今が一番大変なんです。自分が希望している大学院のコースから条件付きの合格をいただいたのですが、その条件というのが、英語のスコアである一定のラインを超えることなんです。コロナの影響や卒論や教育実習を言い訳にするのは自分の甘さなのですが、どうしても英語を勉強する時間が足りなくて……」

▼海外で生活したり、勉強することへの不安はありませんか。
「不安はあまりないですね。昔から人と違うことをやりたいと思っていたし、新しい世界に飛び込んで刺激を味わいたいという気持ちも強い。自分の知らない価値観とか知らない文化とかを知ることができる期待の方がずっと大きいですね。コロナウイルスに対してもその時々の状況にあわせて対応していくしかないと思っています」

▼イギリスの大学院で具体的に取り組みたいことは?
「向こうの大学院にもインターンがあって、もしかしたらプレミアリーグ、例えばマンチェスターユナイテッドのフロントに潜り込んでビジネスマンとしてのスキルを磨けたら最高ですね。イギリスは多文化共生の国なので、サッカービジネスに限らず、いろんな国の人からいろんな人の話を聞いて、今の自分にないものを吸収していきたいですね」

▼さらにその先にどのような未来図を描いていますか。
「ザスパで育ったので、昔は選手としてザスパに戻るのが夢だったのですが、その夢は叶いませんでした。でも、その悔しさを反骨心にしてスポーツビジネスの世界で飛躍していきたい。最終的にはザスパを大きなクラブにするのが自分の夢ですね」

▼最後に、細谷さんのように海外でなにかに挑戦したいと考えている後輩たちにメッセージをいただけますか。
「僕、アニメ『メジャー』の主人公・茂野吾郎の『できるかできないかじゃなく、やるかやらないか』というセリフが大好きなんです。知らない世界に飛び込むことは、それまでの自分の概念とかがすべて崩れ落ちてしまうかもしれないけど、そういうものを恐れずにチャレンジしてほしいですね。やっているときの辛さはその一時ですが、やらない後悔は一生だと思いますから」(完)

木村茜さん

木村茜さん

教員採用試験合格 木村茜さん アスリートとしての感覚や経験をいかし、指導者としての感覚を磨いていきたい

陸上女子短距離界で活躍した木村茜さんは、びわスポ大での4年間で「教師になる」という新しい夢を追い続けた。アスリートとしての経験を糧に研鑽を重ねた結果、見事に教員採用試験に現役合格、4月から滋賀県下の中学で体育教師として新たなスタートをきる。さまざまな曲折を経た彼女はどうやって夢を叶え、どんな教師像を夢見ているのだろう。(聞き手・慶島珠恵)

陸上選手時代の実績を確認させていただいて驚きました。例えば、中学時代に短距離で日本一になった経験からどんなことを学ばれましたか?
「陸上競技は、中学校の部活動として始めました。最初はただ単純に速くなりたいという思いだったのですが、先生の指導など周りのおかげもあって、だんだん力がついてきたなと実感したのが中二の全国大会です。そこで全国2番になり、2番になったからには次は1番めざすしかないと思いました。その次の年、全国優勝を目標にしてた中でその目標を達成し、努力して目標を達成出来たことが自分にとって自信になったと思います」

その後も高校、大学とトップレベルのアスリートとして活躍されましたが、大学を途中で退学されて実業団へ進まれたんですね。
「もともと教員になりたいという夢があって大学進学したのですが、陸上競技を極めたい思いが強くなってきて、どっちつかずになってしまいました。より一つの道を極めたいと思い、大学を中途退学することを決意し、実業団に入りました」

実業団選手時代、大変だったことはなんですか。
「実業団は仕事をしながら選手としても企業の看板を背負うので、結果を残さないと生きていけない厳しい世界です。プレッシャーも感じたし、自分で全部を1から計画して練習、試合までのスケジュール管理をするのが大変でした。選手2年目シーズンの終わりに、戦力外通告を受け、自分がしてきたことを伝えられる職業はなんだろうと考えたときにやっぱり教員しかないと思い、びわスポ大に入学することを決意しました」

年下ばかりの同級生とコミュニケーションをとるのは大変だったのでは?
「最初は戸惑いましたが、フレッシュマンキャンプで同じクラスの子に自分が年齢5個上なことなどをを告白しました。そんな自分を受け入れてくれて、そこから『姉さん、姉さん』ってみんなが慕ってくれるようになりました。私がなにか努力をしたというよりは、周りが受け入れてくれたことが大きかったですね」

本学での4年間、新たな夢に向かってどのような努力をしましたか。
「先生になる!という目標を忘れないでおこうと心に決めました。1年次生の頃から教職の講座が開講されていたので必ず参加して、人一倍勉強するように努力しました。3年次生の秋ぐらいから教員採用試験に向けて本格的に動きました。挫折ばっかりでも繰り返し繰り返し、できなくてもめげずに勉強をすることに、熱を注ぎました」

アスリート生活と学生生活のギャップに苦しむことはありませんでしたか。
「今まで陸上しかしてこなかった分、出来なかったことをやり直している感覚で、自分が思っている以上に大学生らしいことをさせてもらったなと感じます。勉強もしたけど、とても大学生活を楽しんだ感覚です」

特に楽しかった思い出を教えてください。
「みんなで協力して目標を達成していく、フレキャン、スキー、水辺実習の三大実習は辛かったけどとても楽しい思い出ですね。これらはびわスポ大だからこそ体験できることだし、遠泳は隣の子がいなかったら泳げてなかったと思います。『がんばれ』の声で力が湧いた経験は、これから中学校の現場に入っても生徒たちに伝えていけると感じています」

新型コロナウイルスの感染拡大は、教職の勉強にどんな影響がありましたか?
「家で勉強するのが苦手でコモンズで勉強していましたが、コロナで行けなくなってからは、勉強仲間とzoomでつながってお互い見える環境を整えて勉強しました。他人の目があった方が頑張れるので、気の緩みや自分に甘えが出ないように積極的に連絡を取り合って勉強しました。苦手な小論文対策としては京都新聞の一面コラム『凡語』を書き写していました。書き出しや文末のバリエーションが増え、知らない言葉をいくつも覚えることができました」

春から教師としての新生活が始まります。どんな教師になりたいと思っていますか。
「中学時代に陸上の指導をしていただいた恩師が、憧れであり目標です。どの生徒に対しても熱心で、特に部活では、自分が掲げた目標に対してどうやったらサポートできるかを常に考えていてくれていました。教育実習の時に再会し、『はよ、先生になれよ』と言ってくださったことも、自分の背中を押してくれました。アスリートとしての感覚や経験をいかしつつ、これからは指導者としての感覚を磨いていきたいです」(完)

堂鼻起暉さん

堂鼻起暉さん

サッカー福島ユナイテッドFC内定 堂鼻起暉さん 将来的にはJ1の舞台で活躍できるプレイヤーに成長していきたい

持ち味は粘り強さを活かした対人の強さ。コロナ禍の影響で満足な練習もできず、視察すらもままならない中、常に自分と向き合い、ひたむきに努力を積み重ねられる才能が福島ユナイテッド加入という夢をたぐり寄せた。謙虚さの中に静かな闘志を秘めた堂鼻起暉選手に、プロ入りが決まった現在の心境を聞いた。(聞き手・野仲優雅)

福島ユナイテッド加入、おめでとうございます。まず最初にプロ入りが決まった今の心境を聞かせてください。
「まだ報告が来てから時間があんまり経ってなくて実感があまりないんですが、プロのサッカー選手になれたことは嬉しかったですね」

プロサッカー選手になりたいと考え始めたのはいつ頃なんですか。
「意識し始めたのは、やっぱりヴィッセル神戸のユースに行ってからですね。ユースの時はユースからプロに上がることを一番の目標にしていました」

ユースからプロへは上がれませんでしたが、大学へ進学する際、本学を選んだ理由を教えてください。
「最初はオファーもあった関東を視野に入れてたんですが、お金のこともあって関西にしようとなって、びわスポ大にしました」

実際に4年間プレーしてみて、本学サッカー部の売りや他と比べての強みはなんだと思いますか?
「部員が他の大学より多いなか、まとまってやっているところがこの大学の良いところかなと思います。1年次生のときからずっとトップでプレーさせていただきましたが、常にチームみんなの期待を背負っているという気持ちでプレーしていました」

サッカー部監督の望月聡先生の指導についてはどんな印象をもたれてますか?
「今までやってきた監督の中では一番自由にサッカーをさせていただきました。でも、その自由の中で自分たちで考えることの大切さであったりとか、自主性を選手たちに求めるので、そういうところは社会に出ても、プロ選手としてプレーするときも必要なことなのかなと思います」

新型コロナウイルスの影響でリーグ戦がなくなったり、4年次生の一番大事な時期にアピールできるタイミングを失ってしまう現実をどう受け止めていましたか?
「こんなにサッカーができない期間が長かったのは初めてでしたし、プロを目標にしている分アピールする場が少なくなったので焦りはありました。集まってトレーニングができなかったので、自分一人で動いて体をなまらせないようにだけはしてました」

去年のキャプテンだった井上直樹選手は、プロ1年目からブラウブリッツ秋田のJ2昇格の原動力になる活躍を見せました。
「井上選手には、加入が決まったときにすぐ電話で連絡しました。コロナで練習ができなくなったときも、『焦らなくてもいい』と声をかけてもらっていました。去年まで一緒にプレーしていた井上選手の献身的なプレー、ゴール前にしっかりとつめるプレーがプロ一年目から結果につながったことはとてもいい刺激になりますね」

大学ではボランチでもプレーしていましたが、プロ入り後のポジションは?
「練習参加ではセンターバックでプレーしました。練習参加した中では一番福島がいい状態でしたね。中学生のときからセンターバックでプレーする機会が増えましたが、格上のジュニアユースのチームと対戦したとき、上手い人たちを止められたことが嬉しくてこのポジションが好きになりました」

後輩たちへのメッセージをいただけますか。
「今年はインカレとか行けなくて、残念なシーズンになってしまいましたが、後輩たちには後悔の無いように頑張ってほしい。プロ入りをめざしている選手はコロナのこともあって、焦りが出てくることもあると思いますが、あきらめずに最後まで頑張ってほしいです」

最後にプロ入り後の目標、意気込みを聞かせてください。
「今年の目標としては、やっぱりプロの世界になれることが大事だと考えています。一日でも早く試合に出られるように努力して、結果を残していきたいですね。まずJ3に加入することになったので、もっと上をめざしてやっていきたいと思いますし、将来的にはJ1で活躍できるプレイヤーに成長していきたいと思います」(完)

荒川花涼さん

荒川花涼さん

消防官採用試験合格 荒川花涼さん 消防士として、自分にしか出来ないことを見つけたい

ソフトボール部に所属していた荒川花涼さん。主将としてチームを2部昇格に導き、ベストプレイ賞と3部リーグ防御率の個人タイトルを獲得した。そんな荒川さんが、なぜ消防士をめざすようになったのか。試験に合格するまでの苦労とあわせてインタビューさせてもらった。(聞き手・本城寛人)

消防士になりたいと思った理由から教えてください。
「3年次に大津市消防局のガイダンスを聞いたことが、直接的なきっかけです。海外と連携しているところも魅力だったし、消防といえば火を消すイメージが強いけど、個人的には人命救助の仕事に強く惹かれました。私は琵琶湖の近くで育ちましたが、美しい湖も時には人の命を奪ってしまうことがある。実は高校の同級生だった友人も2020年の春、近江舞子で水難事故にあって亡くなりました。そのこともあり、人命救助、人助けをしたいという思いが強くなりました」

試験に向けての勉強は、どのように取り組んでいたのですか?
「勉強がまったく出来なかったんですが、3年次生の10月から消防士を意識した勉強を始めて4年次生の4月から本格的に取り組みました。最初は2時間集中することから始めて、最終的には毎日最低6時間は勉強するようになりました」

1日6時間の勉強を毎日ですか?
「それまでまったくしていなかったので苦労しましたが、勉強はスポーツとは違う楽しさがありました。具体的な内容としては、数的処理、判断推理をひたすら勉強していました。最初は解けない問題ばかりで大変でしたが、あきらめて解けないままにしておく方が悔しいのでがんばりました」

解けない問題はどのようにクリアしていったのですか?
「答えを先に見ながら問題と解き方のパターンを覚えるようにしたら、どんどんできるようになりました。ソフトボール部の仲間に勉強の得意な人がいて、教えてもらったりもしていました」

ソフトボール部でキャプテンを務めた経験は、消防士の試験勉強に役立つことがありましたか?
「下級生のときはピッチャーをしている自分のことだけで精一杯でした。キャプテンになってからは責任感もうまれたし、周囲をしっかりと見られるようになったと思います。その経験がどう試験に役立ったかはわかりませんが……。本当は4年次生になってからも部活を続けて勉強と両立させたかったのですが、新型コロナウイルスの感染拡大で大学へ行けなくなり、部活動も自粛期間に入ったので部活をやめて勉強を優先しました」

勉強以外には何か試験対策は行ったのですか?
「面接練習や体力試験もあったので、勉強の合間に毎日5キロのランニングと体幹トレーニングをしていました。さきほどの質問に対する答えになりますが、ソフトをしていたことでタイムマネジメントはしっかりとできるようになったと思います」

1日のスケジュールを具体的に教えていただけますか。
「朝8時に起きて12時ぐらいまで勉強。そこから2時間は休憩して、そのあと勉強を再開して夕方の5時になったら走り行く。夕食のあとは夜9時〜12時ぐらいまで勉強して寝る。一日の流れをそんなふうに決めて実行していました」

なぜ、そこまで自分を律して取り組むことが出来たのですか?
「とにかく消防士になりたい気持ちが強かった。試験前日まで他の人は絶対もっと勉強している。もともとできない自分がやらないのが嫌で、ひたすらやりました。なりたい気持ちと自分にはまだ足りないという思いでどんどんやっていった。妥協したら全部終わりだと思っていましたから」

支えてくれた人はいましたか。
「ソフト部の仲間たちにはいつも励まされていました。家族には試験が終わってから『頭おかしくなるぐらい勉強していたな』と言われました。最高の褒め言葉だと受け止めています(笑)」

まだまだ消防の世界は男性が多いと思います。そこに入っていくことにプレッシャーなどは感じませんか。
「今年大津市消防局に採用された女性は自分だけでした。でも、女性が少ないことを特に意識することはありません。男性と同じことをすると体力とかの差はでるかもしれないけど、同じ目的をめざす分には差は出ないと思う。自分にしか出来ないことを見つけていきたい」

最後に、消防士としての目標を教えてください。
「救助隊に入りたいけど、まずは消防学校でいろんなことを学ぶ必要があるので、今は不安しかないですね。遠い未来のことを考えるよりも、まずは時間をうまく使って目の前のやるべきことにしっかりと取り組んでいきたい。学生時代の試験勉強で身に着けたセルフマネジメントの能力を仕事でも使えるように、より伸ばしていきたいと思っています」(完)