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特色あるびわこ成蹊スポーツ大学の教育
研究活動について
教育・研究を支える機関
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産官学連携・地域貢献
高大連携
特色あるびわこ成蹊スポーツ大学の教育
研究活動について
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産官学連携・地域貢献
高大連携
京都市生まれ。同志社大学大学院修了。バルセロナ五輪シンクロナイズドスイミング(現:アーティスティックスイミング)銅メダリスト。1994年の世界選手権ローマ大会で、それまでのシンクロの常識を覆す女の情念や怒りを表現した笑わないシンクロ「昇華~夜叉の舞」で、史上初の芸術点オール満点を記録し日本人初の銀メダルを獲得。1995年に現役引退し、その後はスポーツコメンテーターとして各種メディアで活動。2000年から2年間シルク・ドゥ・ソレイユで、日本人として初めてラスベガスで最高峰の水中ショー「O(オー)」に出演。京都市教育委員や文部科学省中央教育審議会委員などの公職を歴任し、他にも日本水泳連盟アスリート委員も務める。また、小児がんと闘う子どもや家族の支援団体「チャイルド・ケモ・ハウス」への協力など社会活動にも取り組む。2015年にはシンクロクラブを立ち上げ、競技の普及にも努めている。夫、朝原宣治さんとの間に1男2女。
広島市生まれ。1991年から2008年まで17年間、セレッソ大阪一筋の「ミスターセレッソ」としてチームを牽引した。J1通算318試合に出場し、94得点。日本代表としても国際Aマッチ64試合出場12得点と活躍。2002年FIFAワールドカップのチュニジア戦では、セレッソ大阪のホームでもある現在のヤンマースタジアム長居で記憶に残る1ゴールを挙げた。現役時代は「日本一腰の低いJリーガー」とも称され、現在でも「モリシ」の愛称で広く愛されている。引退後、サッカー解説のほか、クラブではアンバサダー、強化部長を歴任。現在は代表取締役社長を務める。
1966年東京都葛飾区生まれ。中学入学と同時に部活でバレーボールを始める。地元共栄学園高校に進み2年の春の高校バレーで、ジャンピングサーブ、バックアタック(女子選手では初)を武器に大活躍。優勝候補の八王子実践高校を破り準優勝。高校3年秋に日本代表入り。ワールドカップ、世界選手権などに出場。1990年、所属のイトーヨーカドーではエースとして初優勝に貢献。1992年、現役引退後アシスタントコーチを経て芸能界へ。バレーの解説やオリンピックのキャスター、バラエティ番組まで、幅広い番組に出演。自身の現役時代の高圧的な指導の経験から2015年より『監督が怒ってはいけない大会』を主開催。小学生のスポーツの入り口の環境を変えるために活動を始める。2022年12月、日本財団HEROs AWARD受賞。2023年6月より公益財団法人日本スポーツ協会副会長、日本スポーツ少年団本部長に就任。
高校3年生の時、突然の交通事故によって脊髄を損傷。以後、車椅子生活となる。知人の紹介により車椅子バスケットボールと出合う。その後、持ち前の「ポジティブ精神」と「リーダーシップ」で国内トップクラスの車椅子バスケットボールプレーヤーに成長。2000年に開催されたシドニーパラリンピックでは、男子車椅子バスケットボール日本代表チームのキャプテンを務める。
受傷後まもなく講演活動も始め、36年間に3,600回以上、全国の小・中・高等学校へ「出会った人と友達になる」をキーメッセージに延べ80万人に向けて実施。この活動を評価され2016年、法務大臣表彰状(ユニバーサル社会賞)を受賞。東京2020パラリンピック競技大会ではパラリンピック選手村の副村長に就任。また連日パラリンピック期間中NHKにて連日ゲスト解説として出演する。現在「誰もが素敵に輝く社会を目指して活動中」。