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  • 株式会社リーベ 阪田 隼也 〈アフロコーチ〉 小林 拳大 〈キャンディコーチ〉

    株式会社リーベ
    阪田 隼也 〈アフロコーチ〉 小林 拳大 〈キャンディコーチ〉

  • ホームページ http://www.liebe-japan.com/ 
    〒520−0113 滋賀県大津市坂本6-7-51
    ℡:050-3482-2137
    Email:info@liebe-japan.com 

株式会社リーベ 阪田 隼也 (さかたじゅんや)〈アフロコーチ〉
2009年 3月 卒業 出身校:京都市立紫野高等学校
小林 拳大 (こばやしけんだい)〈キャンディコーチ〉
2014年 3月 卒業 出身校:兵庫県立加古川北高等学校


自分の意志で判断して行動することが大きな成果に繋がる
●脱サラして株式会社リーベを起業する ―
僕(アフロコーチ)もキャンディコーチも保健体育の講師・教員として学校現場で勤務していたことがあります。そんな僕がリーベを起業することになった動機は、もっと自分で判断する機会や考えたことを試す機会を創出したい、もっと自分の力を試したいと思ったから。
すぐにびわこ成蹊スポーツ大学で取り組んでいたキッズプログラムが思い浮かびました。
その経験をもとに、「楽しい」に特化した独自のリーベメソッドで
子供達の可能性を極限まで引き出せると確信したのです。
大学院インターン生として受け入れていたキャンディコーチが、幼児期の運動あそびの大切さを感じ、リーベに興味と強い想いを抱いてくれ、後に共に働く仲間にと迎えました。今やキャンディーコーチは、子どもの憧れとなり、保育士さんと共に子どもの育ちについて語り合える存在になっています。
2021年現在リーベでは、楽しさやワクワク感を存分に引き出しながら行う、幼児期の“運動あそび”を提供することの他、明日からすぐ活かせる運動あそびアイディアを楽しみながら得られる“おとな研修”プログラムの提供、及びオリジナルの遊具を作り販売する“こども遊具”事業を展開しています。

●誰もが自然と笑顔で動き出せる「リーベ式アプローチ」とは ―
現場では、自信がない・消極的・不安な子も、そうでない子もいる中で、マニュアル通りの対応なんてしないですし、到底できません。
例えば、運動あそびをする際に参加していない子どもへのアプローチについては、保育士や親御さんからも質問を受けることのひとつです。参加していない子どもには、「この子は大丈夫」と信じて見守るだけ。その子の存在を、可能性を、認めることから始めます。それぞれの個性もあるし、心配する必要はありません。子どもって大丈夫、絶対できるし絶対やるし、自分で判断しています。
子どもたちの「やってみたい」を育てるためには、要はその判断を我々大人が尊重していくことが大切なのだと思います。僕はもう大人ですが、リーベの仕事へ向き合う気持ちも、子どもの楽しい・やりたいという気持ちに似ていると感じます。楽しいからやる気しかない。子どもも大人も、自分の意志で判断して行動するということは、これほどにも大きな成果に繋がるものなのですね。

●今後の目標や挑戦したいことは ―
幼児教育の分野は、たくさんの可能性にあふれていて、そこを開拓することに今後挑戦したいです。例えば、保育士研修ですね。僕もいろんな研修を受けてきて、ためになる研修は多いけれど、残念ながら面白い研修は少ないと感じます。自分たちが面白い研修をして保育士さんに楽しんでもらい、自然と前向きな学びが得られるよう仕掛けていきたいです。
そして、キャンディコーチは今、幼児教育を学ぶ学生の講義を担当したりしているので、保育業界の次世代に大きく関わっています。子どもたちにとって本当に大切な保育や教育って何なのか、突き詰めて考えていきたいですね。
(文責・家里 渓太)

  • かんばやし・せいや
    〔出身地〕滋賀
    〔ポジション〕ウィング、サイドバック
    〔身長〕173cm
    〔体重〕71kg 

オーストラリアリーグ Manly United FC サッカープレイヤー
上林 聖矢(かんばやしせいや)
2020年 3月 卒業 出身校:滋賀県立草津東高校


夢の実現には、「思う」ことからの逆算で今すべきことを
●海外でプレーしようと思ったきっかけは ―
2020年3月、びわこ成蹊スポーツ大学の卒業後の進路として、サッカー部同期の5人がJリーグへの加入を決めた一方で、僕はJリーガーになれませんでした。
それならば日本にこだわることはないと海外へ視野を広げ、サッカーを続けるための次のフィールドとしてオーストラリアを選択しプロのサッカー選手になりました。
悔しい気持ちと自分の可能性を試したいワクワク感が後押しし、これまでも岐路に立った度に信じてきた自分の直感に任せたこの決断は、今、「正解」だったと思います。

●すべてが思い通りにまわっているように見えるが ―
初めからそうではありません。体ひとつで挑んだオーストラリアでは、チーム内での会話も当然全て英語のため、理解するのに時間がかかりました。それでもチームメイトに食らいつき、繰り返し話してもらっては意味を確認し、ついでに練習後の英会話レッスンにつきあってもらえるよう約束を取りつけました。
また、街に出向いては、現地の人と他愛ない会話を楽しんだり。コロナ禍で対面機会が減っても、オンライン英会話レッスンを受けるなどをして、その日にわからなかった言葉や疑問に思った言葉をひとつひとつ理解していくようにしています。
「日本語をしゃべらない日本人になる」実はこれが語学力習得には効果テキメンだとわかっているので、ただ単純にこれを実行しています。

●なぜそこまで英語にこだわるのか ―
答えは、大好きなサッカーがしたいからです。オーストラリアでサッカー選手として通用するには、当然、サッカーのスキルとして人より長けているものがなくてはならないですが、高いコミュニケーション能力を備えているかがとても重要。英語が話せるだけでチームからの信頼度が全く違ってきます。綺麗な発音はまだまだできなくても、とにかく話をしようといった姿勢で、前のめりの毎日です。

●学生へメッセージを ―
僕は、これほどまでオーストラリアリーグで活躍できるとは、想像できなかったとは言いません。なぜなら、思ってもいないことは実現できないから。

まずは、理想の自分・目指す像・目標・やりたいことを思い描き、「思う」ことから逆算して、今、何をやらなければならないのかを考え実行する。この繰り返し・積み重ねが、納得のいく未来に繋がっていると思います。
また、自分の軸を太くして自信を持っていれば、先はひらけていくので、自分を信じることも大切だと、後輩たちに伝えたいです。
(文責・波多 智美)